リクルート社発行の月刊『アントレ』で山口が連載していた「儲かってまっか」が、ベンチャーコミュニティーのホームページ上で新連載企画として登場しました。 タイトルはもちろん「儲かってまっか」。「儲かる」とは信じる者と書きますから、単なるお金儲けが目的なのではなく、高い志を持ち、 世の中に何らかの形で貢献したいと夢を抱いている起業家たちを、ご紹介していきます! 編集長: 山口 俊介
「お客様を喜ばせること」が、繁盛店の鉄則!
今回は、株式会社ワイズクルー・コーポレーションの山川社長をご紹介します。
山川さんは、関西を拠点に飲食店を5店舗を展開し、2005年より東京に3店舗を出店。また、2002年には株式会社ダイニングセッションを設立し、飲食業界の若手経営者とともに、飲食業界の活性化に向け、さまざまな取り組み(後述)をしています。
山川さんは、学生時代は体操部の主将。そして、スポーツクラブのインストラクターをやっていたというスポーツマン。その後、転機が訪れ、飲食業界に飛び込む。1995年1月、「茶りんこ」というFC加盟店である居酒屋に勤務することになり、調理3年(メニュー100種類以上)、店舗マネジメント、バーテンを経験し店長に。そして当時、月商200万円のお店を、1年半で500万円に拡大し、「儲かる飲食店のコツ」「チェーンオペレーション」などの飲食店経営のノウハウを学んだ。
1998年には、「茶りんこ」のFC本部が倒産。その後の1999年3月、「茶りんこ」を買い取って、残った従業員と共に内外装やメニューなどを改良。アメリカンスタイルの居酒屋バー「C-style」をリニューアルオープンする。
「C-style」では、サービス(100%接客)重視で、店長の名刺をお客様全員に配りコミュニケーションを充実。悪いところは毎日変えていき、ただの居酒屋からの脱却を目指した。お客様の生の声を聞いて、メニュー、オペレーションの見直しを図り、それを実現に向けて創意工夫に注力。カラオケ、イベント(クラブイベント、イタリアンフェア、占いナイト・・・)など、日々、新しいことにチャレンジし続けた。
カクテルの種類の多さ(300種類~)や低価格化(380円~)も実現。居酒屋でありながら、お客様の目の前でシェーカーを振り、その場でカクテルを提供するパフォーマンスがウケ、地元では人気の評判店となった。
繁盛店のノウハウを生かして、店舗プロデュース事業へ
1999年10月、知人からの依頼を受け、「心斎橋じん平」の店舗プロデュースを行う。
初期の「心斎橋じん平」は、鉄板焼きのどんぶり専門店として営業していたが、あの狂牛病等の影響により、売り上げが低下。そして、追い討ちをかけるようにその依頼者である知人が、突然の失踪。
それを機に、建て直しを図るべくメニューにラーメンを投入。結果、当初の計画通り、単品でなく丼とラーメンのセット販売がお客様の支持を得て、単価が上がり売上拡大。また、オペレーションの均一化により、コストダウンを図ることに成功。この時の経験により、売り上げサイズが小さいお店でも、収益が見込める店舗オペレーションを構築。こうして、飲食業界でお店を持って独立したい人々のための、小資本でお店を開業できるシステムの開発をはかる。
いつも「お客様が予想する以上の感動を与えたい」が口グセです!
2004年6月、新たな業態開発の案件が持ち込まれ事業化に取り組むことに。株式会社ひょうたんやと出会い、事業がスタートする。半年も経たない11月には、大阪の四ツ橋で、「京都烏丸つゆしゃぶCHIRIRI」大阪新町店の開業にこぎ着ける早業をやってのける。そして、2006年の1月には東京へ進出し、「京都烏丸つゆしゃぶCHIRIRI」東京汐留店と同時にバーやサロンなど3店舗を同時期に立て続けに出店。
また、2005年夏に大阪・アメリカ村に出店した「香港トマトラーメン 杏仁豆腐カフェ」が話題になるなど、常に飲食業界のトレンドリーダー的な存在として活躍しています。
飲食業界での成功の鍵は「人がすべて」といい、いつも「お客様が予想する以上の感動を与えたい」とスタッフや関係者のみならず、業界を超えて語り続けている。
飲食ベンチャーを相互支援するダイニングセッション設立
山川さんは、自分のお店の展開のみならず、飲食業界の若手経営者とともに業界を盛り上げていき、業界の活性化に寄与したいという想いから、2003年 12月に10店舗程度を経営する飲食ベンチャーを支援する会社「株式会社ダイニングセッション」を設立。参加を希望する飲食店オーナーとは、ダイニングセッション幹部のスタッフが直接面接を行い、参加の可否を決定。数よりもオーナーの飲食に対する想いや考え方を重視。
活動の一例でいえば、2006年の1月に養護施設へ、出張料理を作るボランティアを開催。こういったダイニングセッションの理念を理解して頂けない、営利追求のみの飲食オーナーには、参加をお断りするという。
飲食業界で働く人々に次のステップを目指してほしい! なぜ飲食業界に携わり始めたのかと聞くと、山川さんは昔の苦い経験を語ってくれた。
「丼の専門店"じん平"というお店のオーナーから運営委託の話があり、それを受けることにしました。仕入れ代金などは、オーナーが支払うことになっていました。最初は顔を出していたオーナーがまったく来なくなり、夜逃げしてしまいました。
オーナーが何カ月も滞納した家賃・仕入れ代金・高利貸しから借りた借金などの取立てが押し寄せ、大変な事態に。店には支払い義務はないことを説明、債務者の方へはなんとか説得してあきらめてもらいました。しかし、家賃や一部の業者への支払いが溜まっていたので営業停止に追い込まれる寸前になりました」
大家さんと業者には分割で支払いをすることで、何とか営業を継続できることとなる。ところが山川さんの苦労はこれだけではない。お店をオープンするも売り上げ低迷のため1年以内に閉店させてしまった経験も、残った借金を支払うために高利貸しからお金を借り、少しづつ返済しながら、低金利ローンへ借り換えにこぎつけ、辛くも難を逃れた経験もある。
飲食業で起業して、すべてが上手くいったわけではなく、本当に苦しい時代も経験する。
「今まで失敗もたくさん経験しているので、そういった時にいろいろなことを相談できる場が欲しかった。自分が苦しかった時期に、こんな会社や場があればいいな」と思っていたこと。また、「飲食業の店長さんや調理スタッフは、厨房で鍋をふりながらこのままこれで終わってしまうのだろうか、と不安になると思うんです。だから僕はオーナーとして、従業員に次のステージを見せてあげたいのです」という。
山川さんは、ダイニングセッションを通じてさまざまなオーナーと、何度も話し合った。多くのオーナーが山川さんと同じような悩みを抱え、本音を語ってくれたことに、手ごたえを感じたという。
「小さな飲食店が集まることによって、何かを始めることができる。そこから派生する、多くのこれからに期待しているんです」と、志高く、熱い想いを語ってくれた。
会社概要
株式会社 ワイズクルー・コーポレーション
所在地:兵庫県川西市中央町3-3 中央ビル2F
設立年月:2001年3月
資本金:1100万円
従業員数:約80名
URL:http://www.ys-crew.com/
社名 : ニチレイマグネット株式会社
資本金 : 9,600万円
売上高 : 290,000万円(2005年6月期)
事業内容 : マグネット素材の企画開発から製造販売までを手がける業界最大手企業。
主力製品はマグネット・シートと呼ばれるシート状の製品。
所在地 : 大阪市城東区今福南3丁目1番51号
連絡先 : TEL:06(6934)2721 (代) FAX:06(6939)7337
URL : http://www.nichilaymagnet.co.jp/
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高い技術力と斬新なアイディアで新たな文化を創造した!

「マグネットシート」の市場シェアNo.1であり、業界では知らない人がいないという、ニチレイマグネット株式会社の代表取締役 前橋清さん。頂いた名刺もなんとマグネット!実はその名刺、家庭用のインクジェットプリンタ用シートで印刷されたものでした。
今でこそ身近に感じるマグネットシートですが、前橋さんの挑戦は30年余前から始まりました。
「持っているアイディアをふと誰かに話したときに何かのヒントになったりすることも多々あります。そのアイディアを具現化するためにも、もっと技術的な部分、開発要員のレベルを上げていくことで、未知なる可能性に向けて探求を進めていきたい。そして誰も到達していない新領域を切り開いていくことで社会に夢、感動を与え続ける・・・そんな会社に成長していきたい・・・」と、意欲は尽きることがない前橋さん。
「20代の時、自動車販売会社に勤めていたのですが、銀行員であった友人に若い社長を紹介されたことがきっかけで転職しました。」と、当時を思い出しながら語ってくださいました。
「ようやくここ1、2年の間、新聞、経済誌、テレビやローカルのラジオ局などで考案者として取り上げられるようになってきましたが、開発型企業なのでしんどいことも多いですよ。」
前橋さんが転職された当時、ホワイトボードがまだ市場に出始めた頃で、メーカーは2社しかありませんでした。当時、工作機械の見本市はたくさんあったので、磁石を使った工場のレイアウト版を出品していました。
まだ磁石自体は通常の使い方をしていた当時、そこへ来られたとあるメーカーが興味をもたれたことが転機となりました。
『面白い使い方していますね。ぜひ、お手伝いしたい』と言って頂き、
『では、薄い磁石を作って下さい』とお願いし、開発を始めました。
磁石の応用といえばその頃、家電メーカーが冷蔵庫用ドアパッキンに樹脂の棒磁石を使用されていました。
「そのような棒磁石を削ったり、切ったり貼ったり出来るのであれば、平たくすることで色紙のように自由に切ったり出来ないか・・・」
前橋さんの挑戦は、"磁石は黒く硬いもの"という概念を覆すものでした。未知なる可能性にチャレンジするということは並大抵のことではありませんでした。しかし、努力の甲斐もあり、あらゆる磁性材料を用いた試行錯誤の末、ついに完成したフレキシブルな磁石。さらに色をつけることに1年半かかったと前橋さんは苦わらいします。
「これなら色紙のように扱える!」
その後、前橋さんは29歳の若さで、なんとホワイトボードメーカーから自分の思い込みで作ったマグネット部門を丸ごと率いて分離独立されました。そしてその2年後にはマグネットシートを利用した初心者マークを初めて大量生産をしました。その初心者マーク、当時は画期的だったこともあり、「磁力がなくなって落ちるであろう」、「風で飛んだりするのでは・・・」と心配されましたが、「シールのようにあとが残らず、自由に貼ったり剥がしたり出来る!」と、大好評となり、大ヒットしました。
その後、次々と斬新なアイディアと高い技術力で商品を増やし続け、今では一見さんを除いて5500社まで取引先が増えました。
「企業がマグネットシートを利用する利点は身近なところにもありますよ。例えば、某ピザ宅配チェーンではマグネットシートを名刺代わりに持っていくと、お客様が冷蔵庫に張ることから、効果的な販促となっている様子です。」
このようなマグネットを利用した販促を行う企業は少なくない。
「しかし、マグネットの利用範囲は貼り付ける先の鉄板に依存します。例えば事務所ではホワイトボード、家庭では冷蔵庫しかない。そこで、簡単に誰でも扱える、紙のような鉄板はないのかと必死になって鉄鋼メーカーなどを探し回ったところ、ようやく知り合いのつてで大手メーカーの子会社と縁ができ、開発に取り掛かることになりました。」
その鉄箔は実はドイツからマグネットを購入するために来られたお客様から紹介された時に初めて見たとの事でした。
「これこそ私が探しているものです!どこで作っているのですか?」
しかし、製造元は分からず、それを探して世界中を捜し歩いた前橋さん。ようやくUSスチールが作ったものだとわかったものの、用途がないという判断で生産中止となっていました。
「しかし、それによって私と同じ用途に使おうと思っている人はいないということが分かりました。」とポジティブな前橋さんはその後、念願の鉄箔を開発している日本の企業を見つけました。そして開発された鉄箔は今ではディスプレィや教材などにも応用していただけるようになっています。
そしてもちろん、住宅の壁に使ってもらいたいと考えていた前橋さんに、ある日突然、九州の熊本県の県庁から「子供部屋の壁に使いたい。」と電話がありました。壁一面をホワイトボードとして遊べると好評を頂いた結果、1000棟の住宅への導入が決まりました。しかし、大きな鉄板を扱うことから、施工上の難易度が高いことが現在の課題となっています。
可能性は無限に広がるものの、開発型企業なので用途開発や製品開発を常にやっていないといけないと思っています。今はデザイナーが大阪、東京に、工場には技術者や特許要員がおり、お客様のどんなご要望にもお応えする体制になっているとのことです。今まで取得してきた特許も沢山あることから、かわいいマグネット雑貨を取り扱う通信事業も始まり、多くの新領域にも着手していくそうです。
前橋さんこれからも沢山のアイディアあふれる企業の創出する、夢と感動を引き寄せる新商品を出してください。
▼めがねやペンなどを収納できるマグネット
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▼用途もいろいろできます
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山口 俊介
社名 : 株式会社アウアウ
設立 : 2003年3月3日
資本金 : 1000万円
売上高 : 3億円(2004年3月期)
事業内容 : ダビングショップ「プロショップ アウアウエージェンツ」の経営、オリジナルマリングッズの企画・販売、マリン商品卸事業の経営、和洋創作料理店「創作料理あうあう」の経営
所在地 : 大阪市西区阿波座1-3-18 エッグビル8F
連絡先 : TEL:06-6532-1591 FAX:06-6532-1592
URL : http://www.auau.co.jp/ (※社名のアウアウとは、ハワイの現地語で、「海で遊ぼう」「水で遊ぼう」という意味)
キャッチ
ダイビングとの運命的な出会いで、将来の道が開いた!
東京生まれで大阪・堺市育ちの関口さんは、幼少より剣道一筋で、高校へも剣道で進学した腕前です。高校卒業後、自分自身を見つめ直すために、大好きな海を求めてハワイへと旅立ち、そこでスキューバダイビングと運命的な出会いをすることとなりました。
体験ダイビングをした折に、老若男女、様々な人々が心からダイビングを楽しんでいる姿に感動し、その時に出会った片足のダイバーとの衝撃的な出来事が、ことのすべての始まりだったといいます。
その彼は元サーファーで、サーフィンでの事故によって片足を失くしてしまい、その事故によってサーフィンをあきらめることとなり、ダイビングを始めたそうです。
身体に障害を抱えながらもダイビングの魅力にとりつかれ、インストラクターとなったことに感銘を受けたという。
関口氏は、子供の頃から体育の教師になりたいという夢があり、この出会いをきっかけにダイビングインストラクターという仕事が、もしかしたら自分の天職ではないかという思いを持つようになりました。
帰国後、約6ヶ月でインストラクターのライセンスを取得し、自分のショップを持つための第一歩として、まずは既存のショップで修行することに。
修行中、「自分の個性が生かせる店を作りたい」「ファミリー的な店にしたい」「ライセンスの取得だけでなく、ずっとダイビングをする人のサポートが出来る店を作りたい」との思いが募り、5年間の修行を経て独立されました。
そこで、まずはショップを開業するために、異業種での経験が大切だと考えた関口氏は、1998年、大阪・鶴橋にレストランバー「アクアバー・アウアウ」を開業されました。(2001年、移転にあたり規模を拡大して「創作料理あうあう」としてリニューアルオープン)
近所にバーがなかったこともあり、結構な繁盛店となりました。
お店の業績がいいこともあって、とうとう念願のダイビングショップを手に入れることに。
2000年、以前に一緒に修行したショップの同僚である松田健一氏と2人で、大阪・鶴橋にスキューバダイビング・プロショップ「アクアプロダイブ・アウアウ」を開店。(現在、大阪・鶴橋から大阪・難波に移転し、「プロショップ・アウアウエージェンツ」に変更)
昼はダイビングショップ、夜はレストランバーというハードな状態の毎日の連続でした。
2人とも夢の実現を胸に秘め、寝る間も惜しんで働き続けたといいます。
レストランバーのお客さんが様子を見に来てくれたり、イベント時には、お客さんがスタッフのように手伝ってくれたそうです。「この時のお客さんには、本当に頭が上がりません。かなり助けてもらいました。」と関口氏。
また、人気のダイビングスポットである和歌山・白浜へ潜りに行く機会も多く、関口氏はお客さんやスタッフの負担を考えて、和歌山・白浜に宿泊施設を持つことを考えました。
2002年、和歌山・白浜にリゾートマンションの一部を購入して、宿泊施設として「コートダジュール・アウアウ」の運営を開始しました。(現在、「シーサイド・アウアウリゾート」として運営。)
「現在も月間約100名のお客さんに楽しく利用していただいています。同時に、スタッフの負担が軽減できました。」という。今からすると思い切った決断を行い、それが結果的に経費削減にもつながって一石二鳥・三鳥・四鳥・・・にもなったそうです。
2003年、株式会社に改組して、「株式会社アウアウ」を設立し、ダイビング事業の本格的な展開を開始されました。
事業成功のポイントは、優秀なインストラクターの確保といい、人材の採用に最も力を注いだといいます。優秀なインストラクターをたくさん育て上げ、ライセンス取得の資金面も支援されました。お客さんがショップに気軽に足を運んでもらうために、ファミリー的な雰囲気作りに尽力した結果、「あのインストラクターに、教えてほしい」というお客さんが多くなっていきました。
2004年、大阪・梅田に「プロショップ・アウアウエージェンツ」2号店を開店しました。スキューバダイビングについては、指導団体BSACのライセンスを採用し、2000年~2004年には、BSACの「ベストトレーニングセンターオブザイヤー賞」を4年連続受賞されました。「今後は、京阪神の近畿地区において、ダイビングショップ3~4店舗を展開し、3年以内には、関東地区へダイビングショップを展開する予定です。その後はリゾート地にも、ダイビングショップを展開していきたいと考えています。そして、早ければ5年後には、IPOを目指したい。」と関口氏は熱い思いを語ってくれました。
山口 俊介
社名 : 有限会社ジャンティ
資本金 : 300万円
売上高 : 1億1000万円(2004年12月期)
事業内容 : 社交ダンス(ソシアルダンス)用ドレス、競技用ドレス、コスチューム、中古ドレス、オーダードレスの製造・販売及びレンタル事業
所在地 : 〒553-0003 大阪市福島区福島7-13-7 高木ビル3階
連絡先 : TEL・FAX:06(4796)3408
URL : http://www.gentil.jp/
キャッチ
現役のプロダンサーがデザインするダンス用ドレスが好評!
母親が趣味で社交ダンスをやっていたという環境で育ち、自身も小学校5年生のころから、自然とダンスに親しむようになった宇賀千咲さん。趣味が高じて、競技会に出場するほどその腕前は上がり、高校1年生の時には全国アマチュア大会6位に入賞。大阪の短大卒業後は、プロダンサーとして上京することになりました。東京・有楽町の有名ダンススタジオで講師として、時にはプロダンサーとして活躍していました。
そもそも、起業のきっかけとなったのは宇賀さんがいつものように競技会に出場していた時…。
「ぜひ私の衣装も、宇賀先生にデザインして作ってもらいたいんです!」と、当時の宇賀さんの生徒が言ったひとことから始まりました。というのも、宇賀さんはいつも、自分でデザインして縫製したオリジナルの競技用ドレスを着て競技に挑んでいたのです。それからというもの、ひとつ、またひとつと次第にドレス製作の依頼がくるようになりました。
「当時の私は、海外へダンス留学することも考えていましたし、世界大会にも出場したかった。そのための資金稼ぎになるかなあ、と依頼を受けるようになったわけですが(笑)。でも、私が作ったドレスを着て綺麗に踊る生徒たちを見るのはすごく嬉しいんですよ」
ダンサー&講師としての仕事の合間に、ドレスのデザイン・縫製を行う毎日が続く。多忙な日々を送りながらも、宇賀さんは年に2~3回のペースで、社交ダンスの本場、イギリスやアメリカでの世界大会に出場。日本人ダンサーの第一人者として輝かしい実績を残してきたのです。(*ちなみに、ひとつの大会には世界各国から約500組が出場します)
その後24歳の時に大阪に戻り、空きスペースとなっていた、父親が経営する工場の2階を使ってダンススタジオを開業。プロダンサーとしての活動も続けながら、後進を育てる事業を開始しました。でもそんな宇賀さんを追って、評判を聞きつけたお客さんからのダンス用ドレスの注文が、大阪はもとより東京からも舞い込んできたのです。そして、2001年9月、本格的にダンス用ドレスのデザイン・企画・縫製事業をスタートすることに…。
その3年後の1月には、新たにスタジオを拡張し、オフィスを設けて有限会社ジャンティを設立。
「小学校5年生でダンスの道に入って以来、これからもずっと、ダンスにかかわる仕事をし続けたいと思っていました。何かをつくることも好きでしたし、自然とこの事業に行き着いたって感じですね」
ダンスの本場で見て踊って、磨いてきたデザインセンスに加え、プロのダンサーが作るからこそ実感できる機能性が、宇賀さんのドレスの一番の魅力です。そして、着る人が満足して納得してもらえるまで、仮縫いから縫製、引き渡しまでとことんこだわりぬく。そうした宇賀さんのドレス作りへのスタンスが、人を惹きつけるのだと感じました。
今では、国内は北海道から九州までの約40店のダンスドレス・ショップから、宇賀さんのオリジナルドレスが注文できるようになりました。さらには、噂を聞きつけた香港など海外からの注文も入ってくるようになっています。昨年の売上は1億1000万円、近い将来、目指すは売上5億円!
これほどまでに成長したドレス事業、宇賀さんがもっとも燃える瞬間はどんな時でしょう。
「ライバル選手や有名選手の競技用ドレスを作る時ですね。私はプロのデザイナーとして、お客さんはプロの選手として。お互いがプロとして対峙し、お互いの思い描いているものが一致した時、とても興奮するんですよ!結果も大事だけれど、そこまで持っていくプロセスが、自分にはもっと大切なものを味わえる瞬間。さらに上を目指す人は、繊細で集中力がすごいので、お互いに妥協は一切ないという極限の状態。だから、お互いが認め合う満足度のレベルが、同じだ! と感じられる瞬間が、最高の喜びなんです」
事業が拡大し社員も増え、ほかの経営者と出会う機会も多くなってきたという宇賀さんは、社長としての意識も高まり、ますます事業への意欲が沸いてきたようです。
「この人のものを作りたい、この人にこういうドレスを作ってあげたいって、いつも考えています。そしてドレスだけでなく、今、いろんな分野に興味があるので、もっといろんな勉強をしたいですね。もっと、マナーや教養も身につけたいし、もっと料理も上手くなりたいし、それから…」
と、好奇心旺盛、やる気満々の宇賀さんです。最近は手紙を書くことが多くなり、密かに漢字帖を購入して練習しているとか。(ここは、私も本当に見習わなければならないと思います)。社名の由来、「gentil」とは、「親切な、純粋な」という意味。まさに、純粋さをウリにした、これからの活躍を応援していきたい起業家です。
よろしく哀愁・・・
山口 俊介